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*果てに在る星
斗南編。斎藤と時尾の再会。
拙宅では、二人は一度だけ会津戦争で顔を合わせており、その後斗南で再会という経緯を取ってます。でも、戦時中は(斎藤は)時尾の名前も知らない。本当にすれ違っただけ、位の邂逅。
斎藤は強い男だと思うけど、戦後から警視局で奉職に至るまでは、色々迷った時期もあっただろうな、と。その時期を越えたからこそ、後は揺らがない。そこに至るまでの一端を、書いてみました。
時尾は、というか女は、どん詰まりの環境においてこそ強かだと思う。時尾の強さは、どんな時でも未来を見つめられること。そのバックボーンは、質の良い愛情を受けてきたからこその慈愛。斎藤は、時尾のそんな強さの基盤に惹かれればいいな、と。そんな妄想。
(2008/3/01 Up)
*眠り男に春の風
幕末/京都時代。沖田と斎藤は仲が良かったと信じたい・・・!
たまには、こういった短編もいいかしら、と。春めいてきましたしね。
拙宅の沖田は、”外見は立派な成人男性なのにやることは子供”。基本的に団体行動は苦手。時間厳守という言葉からは最も遠いところに存在。風のような飄々としたところがあって、信念とか理想とかよりも、好き・嫌いが行動原理。だからこそ、”好きな人(達)”の為に強くなる。そんな感じで書いていきたいと思ってます。
斎藤は、この沖田像からは正反対の逆位置で(笑)。沖田の行動に呆れながらも突き放せない、みたいな。・・・でも(拙宅の)斎藤だから、わかり辛いアプローチだけどね。
(2008/3/08 Up)
*今、此処に居る貴方
日常生活が、また書きたくなってできた1本。最近、過去物が続いてましたし、やっぱりシアワセな2人は大好きだ。
千代の中で、”夫婦”という形態はこのお二人を書く上で外せないテーマなのですが、一緒に暮らすって、案外発見の連続のように思います。夫婦になったからって、何かが始まるわけでも、終わるわけでもない。いつだって永遠の未完成。
身近な人ほど、意外と知らない事があったり、そんな事に驚いたり。改めて好きになったり、呆れてみたり。そんな小さな何でも無いことを、相手が忘れてしまっても、ちゃんと覚えていてあげる。人生を分かち合うって、そんなことかしらと思う今日この頃。このお二人にはそうであって欲しいな、なんて。
(2008/3/21 Up)
*沢雨
沢雨(たくう)=夏の雨の一つ。乾いた大地に極上の潤いをもたらす、至高の雨。
キリ番3110踏み抜きの蓮様からのリクエスト”斎藤と蒼紫/温かくて切ない”への、千代なりの回答。
拙宅での2人のイメージは、孤高の美しい立ち姿。言葉の存在しないところで会話しそう。誰かの為に嘘吐き。でも自分をごまかすことは下手。素直になれない不器用な透明感が核になる、と思っているのですが・・・いかがでしょうか。蒼紫は、美形。斎藤は、いい男。千代の中では、美形といい男は別物。惹かれるのは・・・どちらかな。どちらも、です(笑)。
素敵な御題、有難うございました。
(2008/3/26 Up)
*今、此処に居る貴女
拙作"今、此処に居る貴方"と対を成すSS。斎藤視線で作成しました。よってテーマも前作と同じですが、男性と女性の感じ方の差を違った視点から書ければ、と思いました。併せてお読みくださると嬉しいです。
(嫉妬とか、疑いとか、そういうのではなく、)純粋に相手の事を知りたいと思うのは、男でも女でも同じだと。好きな人が、自分が居ない間何してるのか、って知りたいようで怖いような。不思議な居心地の悪さと甘酸っぱさがあるのでは、とそんな妄想。
小手毬(こでまり)はとても可憐な花です。花言葉は優雅・品位・努力・友情。
(2008/4/08 Up)
*桜雲
斎藤と沖田の間に、男同士の友情といったものがあったかどうか、それは正直解からないのですが(仲は良かっただろうと信じてます)、非常に深いところで共有する何かがあったのではないかな、とそんな風に千代は妄想してます。二人が京都に居た時代、って20歳代の前半・・・イデオロギーよりも失いたくない人の為に戦っていたのでは、なんて。でも、それらがもたらすであろう結末を、違ったビジョンで二人は(おそらく周囲の年長者より)冷静に見ていたのかもしれない。そんなことを思いながら書きました。
桜は、春の到来を告げる壮麗な花ですが、散り行く様をみると、無常という概念を体現したような花だなあと思うことがあります。美しさは、時に悲しい。そういった感の表現も、挑戦したいポイントでした・・・がいかがでしょう。
(2008/4/14 Up)
*劣情烈火
分かり辛くてすいません。斗南編です。時尾目線で書きました。恋というには若くない、情熱というには一過性でない想い。愛、っていろんな側面を含んでいるように思います。
斎藤は斗南でやそという女性を娶った後、時尾と結婚しています。戸籍上は時尾さんは後妻です。やそさんと、どのような事情で別れたのかは(千代が勉強不足なだけかもしれませんが)はっきりしません・・・。個人的には死別だったのでは、と思ってます。たとえ死別でなかったによ、時尾は、何もかも分かった上で、斎藤を好きになったのならいい。そんな妄想です。
過去を抱える男を好きになる、ってちょっと度胸が要るように思います。そういうリスクの高い男を好きになる動機って、その感情が“好き”と表現するものなのかかどうかは分からないけど、とにかく心が動いて仕様が無い、というのが正直な気持ちじゃないかな、と。
通常千代はプロット(下書き)として詩を書いて、それをSSに昇華するんですが、今回はプロットを直にUPでした。本当は・・・すごく恥ずかしいんですよ・・・こういうアプローチは・・・。でも、今回はこのままの方が伝わるかな、と思いました。皆さんがどのように読んでくださるか、受け止めてくださるか、正直どきどきです。
(2008/4/28 Up)
*確信犯
小娘三部作もこれにて終了。拙作:行く人→涙の代償の続きに当たります。あれだけ怒った操が、このまま黙っちゃいないでしょう、文句の一つや二つ、ガツンとやらかしたに違いないと。そんな妄想です。
斎藤は、案外こういった直球に弱い気がします。大人の手練手管のやり取りには慣れきっていていても、こういった直情にはどう答えていいか・・・彼の不器用な一面がでてしまうのでは、と。それでも相手は子供ですから、押す所は押し、引く所はひいてやる優しさは彼なりに持っているでしょうし、微妙な年齢の娘を黙らせるにはどうしたらよいのかもちゃんと知っている。内心、(泣くほど心配されて)嬉しいんじゃないかと思う。ただ、それを認識したくないだけで。
ちなみに、この後、2人は道場の前で鼬の帰りを待つ御頭に遭遇します。きっと、長いこと待ってたんですよ・・・なんて。
(2008/5/18 Up)
*愛しき訓戒
鬼の霍乱を書いてみました。
強面の男性は案外子供のようだと思う事があります。我儘というか、唯我独尊というか、我田引水というか。だからこそ、信念や信条を曲げぬ強さも持てるのでしょうが、病気になると、特にこういうタイプは布団の中で王様状態。困ったことある女性は多々居るでしょうね。難儀だ・・・。ただ、妻はそんな夫への慣れがありますから、扱いも心得ている。そうでなきゃ、やってられない。夫婦になる、ってお互いにいい意味で慣れるってことかもしれませんね。今まで通用した我儘が通用しなくなって、でもそれが悔しくはなくって、・・・穏やかで幸せな気分で降参する。
時尾は、斎藤の傍若無人に鍛えられて、いろんな意味で強い女性だと思いますよ(笑)。
(2008/6/1 Up)
*墜栗花
墜栗花、ついりと読みます。読んで字の如く、栗の花が落ちる頃、つまり梅雨入り時期に見られる雨のことです。
夫婦とはいっても男と女ですから、偶にはこんな話があってもいいかしら、と思って書きました。恋人同志のような初々しさは無いけれど、夫婦ならではの情が緩やかに交わされる睦言があってもいいじゃない、そんな感じです。
鬱陶しい梅雨も季節の変化の一幕。楽しめるかどうかは、心の持ちよう次第かな、なんて。雨の音を聞きながらする二度寝は最高ですよ。
(2008/6/16 Up)
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