思惑
信じた俺が阿呆だったとか、罪の無い顔でにこやかに微笑んでいる眼前の男をぶん殴ってやりたいとか、様々な思いが胸中を横切るものの、結局残るのはいつも溜息だけだ。とりあえず、聞くだけ聞いてみる。
「・・・沖田さん。」
「あ?」
「あんた、なんでも奢ってくれる、と言ったな。」
「うん。」
「俺の好きなものを、と言ったな。」
「ああ。」
「で、なんで此処なんだ?」
古びた重厚な看板に、豪快に書かれた”甘味処”の文字に、うんざりしながら問いかける斎藤に、沖田はあっけらかんと答えた。
「なんでも好きなもの奢ってやるから、場所くらい俺に選ばせてよ。」
・・・成程、そう来たか。
幾度目になるかもう見当がつかない、はめられたという思いを斎藤は噛み潰した。笑顔で何気なく完璧に人をはめるこの男の方が、己より余程鬼と呼ばれるにふさわしい。呆然とそんなことを考えている斎藤には構わずに、沖田はさっさと腰を下ろして、店の親父を呼ぶ。
現れた親父は、最初こそ愛想よく沖田に微笑んだものの、側に佇む己を見て、顔を引きつらせた。壬生狼、人斬りと呼ばれ蔑まれる新撰組の隊士の中でも、己は京洛の鬼、とまで呼ばれている程だから、その反応はまあ当然というか自然なものだ。逆に不思議なのは、京雀の沖田に対する反応だ。
沖田は、言うまでもなく隊内一の使い手で、隊命ならば躊躇なく隊士でも斬り捨てるような男だ。隊外での活躍も言わずもがな。なのに、この男を新撰組の沖田と知っても、恐れるような者はそうそう居ない。現に、店の親父も沖田にはにこやかに天気の話などしているし、甘味処にやってきた男二人が珍しいのか、此の方を伺う娘達も好意的な視線を送る。その娘達に、如才なく笑ってお辞儀などしている沖田には、呆れるを通り越して正直感服だ。この男は、こんな血なまぐさい時代に生れ落ちさえしなければ、人を斬るなどということからは縁遠い人生を送ったのだろう。そしておそらく穏やかに、きっと沢山の人に愛されて生きていけるに違いない。
対する己は、この時代に生れて正解のような気がする。剣以外に誇れるものがあるわけでないし、己に上手な世渡りなどできるはずもない。変わり者の偏屈じいさんなどと呼ばれて、野たれ死ぬのが関の山、だ。
沖田の横に腰掛けてそんな他愛のないことを考える斎藤に、親父は注文をとる。
甘味処など来たこともないから、何を頼んでよいのか見当もつかない。黙り込む斎藤に、沖田が追い討ちをかけた。
「斎藤、何でも奢ってやるから!」
人の甘味嫌いを知っていて、此処へつれてきたくせに何だその明るさは。
沖田のあまりのふてぶてしさに、剣呑な視線を遣らずにはいられない。
「・・・酒。」
憮然とそう言った斎藤に、親父がはい、と頷いた。
おそらく酒など置いていないだろうと高をくくっていた斎藤は、それがあまりにあっけなく受け入れられたので、少し驚いて問うた。
「あるのか?」
「へえ。」
親父はあっさりそう言い、何を解かりきったことを、といったような目で斎藤を見てそそくさと奥へ消えた。
其処に至って斎藤は、隣に座る男が案外己のことを考えてくれているのかもしれない、などと思った。同時に、沖田に対して怒りを覚えた己の度量の狭さを少しだけ恥じた。
だされた茶をすすりながら、沖田の話を割と和やかな気分で聞く。空の高い所を鳥が二羽、円を描くように飛んでいた。青い空に、その姿がとても雄雄しく映えた。
でてきた酒を見て、斎藤の眉間に盛大に皴がよる。同時に、また大きな溜息。
甘味処で酒、といえば、これが出て来て当然なのだ。そんな当然の罠に思惑通りにはまってしまう己が心底恨めしい。おそらく隣で大福をほおばる男は、胸中で大笑いしながら己を盗み見ているに違いない。それは、見なくても想像に易い。そして、この話を種に、当分からかわれるに違いない。そんな話が大好きな人間を、隊内で何人か知っている。悪いことに、そろいもそろって古い仲間ばかりだときている。
斎藤は、半ばやけになって、ほっこりと優しい湯気をたてる湯飲みの中の、どろりとたゆとう白い液体をぐびりと飲んだ。
それは思った以上に喉を焼き、軽くむせる。そんな斎藤を気遣う振りをする沖田にますます腹が立ち、斎藤はやけに挑戦的に言った。
「・・・おかわり。」
沖田は奥に向かって、酒をもう一つ頼むよ、と言った。
斎藤は、その日、いつになく悪酔いして屯所へ戻った。
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