涙の代償
「許せーんっ!!!」
死んだと聞いて泣きまくっていたから、生きていたと聞けば手放しで喜ぶだろうと思った己の勘はあっさり外れた。
どうしてそんな大事なことを黙っているんだ、性格が悪いにも程が有る、といきり立つ娘に、さあいったいどうしたものかと四乃森蒼紫は内心途方にくれる。
この娘を怒らす元凶になっているあの男なら、どうするだろう。例の、唇の端だけの笑みを浮かべて、これ見よがしに煙草でもふかすのか。もしくは、あの滅多に外す事のない手袋のままの手で、頭でも撫でてやるのだろうか。いずれにせよ、己ができそうな芸当ではない。
「蒼紫様、酷いと思いません!?」
そう言って、じ、と己を見上げる瞳には、怒りのためかうっすら涙すら浮かんでいる。
(…つまり、結局泣かすわけだ。)
そういう意味では、罪作りな男だな。
操のまっすぐな瞳を見つめながら、四乃森はそんなことを思った。
己が葵屋に戻る前、操は己と仲間を探す旅をしていたという。その道中で緋村と出会い、その後、新月村というところで志々雄一派と事を構えた時に、斎藤と知り合ったらしい。
命を助けたという。そして傍から離れるな、などと言ったらしい。あの狼が。
斎藤とは、あまり言葉を交わしたことはない。
初めての邂逅は緋村を追って神谷道場を訪ねた時だ。あの時は、確か藤田五郎と名乗っていた。警官だとそう言った。その名で明治を生きているらしいが、己にとってはやはりあれは幕末の京都で鬼と呼ばれた、新撰組の斎藤一だ。
二度目の邂逅でその認識はより一層強くなった。志々雄のアジトで、緋村と決着をつけた後、あの男はやって来て、己は役に立つ駒だったと言い放った。緋村も相楽も、この男にとっては任務を遂行するための手段のひとつだった。あの時、全てがその掌の上で踊っていた。そして、目的は思惑通りに達成された。
手の内を見せずに、相手の動向を読んで先手を打つ。利用できるものは何でも利用する。おそらく利用価値があるなら自分自身の命すら差し出すに違いない。そのくせ死ぬ気は全くないらしい。そして、一旦是と思えば、世界中が否と言っても己が道を貫くのだろう。
目的のためなら手段を選ばぬ狡猾さだけの男かと思えば、その裏には犯しがたい高潔な理念がある。
そしてそれは、発する皮肉と毒舌に絶妙に遮られて現れることはない。
沢山の名前。伝え聞く剣腕。冷たいまでに合理的な思考と行動。
全て目には映るのに寸での所で指の間をすり抜けていくような、掴みどころのはっきりしない、それでいて強烈な印象を残す男だ。そしてその印象は鉄壁の砦になる。その向こうにあるあの男の真の姿など、垣間見ることはおそらくあるまい。
が、例外もあるように思う。
己が知るのとは、違う斎藤一の一面を操は知っているらしい。逆に、己が知る斎藤をこの娘は知らぬのだろう。
いや、知らぬのではない。おそらく斎藤が見せぬのだ。
あの男のそういう如才無い所が、正直羨ましくもあり腹立たしくもある。この相反する滑稽な感情が何なのか、四乃森には解らない。
「…操。」
「何ですか、蒼紫様。」
静かな声を掛けられ、操は怒りに任せて振り上げていた腕を下ろした。
「怒っているのか。」
「勿論ですよ!」
ぎり、と見上げる瞳に湛える涙は、己に向けられた涙の色とはまた違う。
失ったと泣くほどに、深い想いがあるのだ。涙と怒りを向けるほどの、価値があるのだ。少なくともこの娘は、そのまばゆいほどの揺らがぬ情熱を持って、あの男の生死に心を馳せていたに違いない。
あの男はそれを知っているのだろうか。いや、知るべきだと思う。
四乃森の中の、その説明のつかない感情が強くなった。それに押されて、珍しく考える前に言葉が出た。
「…本人に言ってやれ。」
乙女の涙は高くつくぞ、と言ってやれ。
一瞬はた、と動きを止めたものの、己に“乙女”と言われたことが余程嬉しかったのか、操は元気良く飛び跳ね、流石蒼紫様、ちゃんとアタシのことを解ってる、などと言いながら外に飛び出していった。あの様子では、おそらくそのまま警視局に向かうに違いない。そして、涙の代償をまっすぐ訴えるのだろう。その騒々しくも微笑ましい光景が目に浮かぶ。もっとも訪れられる方にとっては、前者ではあっても後者ではないだろう。
さて、あの男はどうするか。
うろたえる?断じてそれはない。
では、笑う?それも何故か無さそうに思う。
あの琥珀の瞳を少し細めて、眉間に皴を寄せて。苦虫を噛み潰したような、そんな困惑顔をするに違いない。そうだ、せいぜい困ればいいのだ。
ああ、解った。
途端に謎が解けた。
この滑稽な感情は、おもしろくない、というのだ。
四乃森は、そう悟った己の中の、予想外の感情の存在に驚いた。だが、そんな自分も意外に受け入れられる。その己自身の変わりように呆れて小さく笑みを浮かべた。
そしてそれは、風を駆ける操の目に留まることは今のところない。それが操に向けられて、新たな代償を生むには、まだ幾分かの時間を要する。
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