五蘊



男は唐突にやってきた。

警察の者だ、と言う。確かに警官の制服は着ているが、模範的な着方ではない。なおかつ日本刀を帯刀している。通常の警察官の持つ礼節とか慇懃さはまったくない、漆黒の髪と色素の薄い眼をした、背の高い男だ。

「へえ、なんぞご用でしょうか。」

増は当たり障り無く、にこやかに返事をする。胡散臭かろうが悪人面であろうが、それはそれ、商売人の基本だ。男は、その琥珀色の目で増をまっすぐ見下ろし、ごく自然に言った。

「御頭とかいうのは、いるか。」

増の目が光る。もちろん、そのような事を言う者は普通の警官ではない。味方か敵かわからない場合は、敵だと判断するのが基本だ。調理場で黒と白が身構えたのを感じる。ただ、本能的に察していた。この男は、強い、と。 そのとき、奥から声がかかった。

「…何をしに来た?」

流石、というべきか、通常とは全く異質の気を纏う男が領域に入ったことを、‘御頭‘ と呼ばれた男が気づかぬわけが無かった。
警官は、声のした方向を見つめた。唇の端に、不敵な笑みを浮かべている。

「ここで言おうか?」

数秒の沈黙。

「庭へまわれ。」

そう言われた警官は、邪魔したな、と言い、増に一瞥をくれると、裏木戸を抜け庭へ向かって行った。





「で、何だ。」

ソードラックから日本刀を外し、庭に面した縁側に腰を下ろした警官に、四乃森は問うた。東京から戻って、1ヶ月。紅葉の盛りを越え、季節は冬に向かって動き出していた。京都が、より一層、趣きを増す時季である。 警官は庭を見ながら、振り返りもせず答えた。

「遊びにでも来たと思うのか?」
「…緋村から、藤田五郎警部補は別部署に異動した、と聞いたぞ。」

ふ、と笑って、警官は煙草に火をつけた。

「ああ。これ以上、あの阿呆どもには付き合いきれん。」

ゆっくりと、そして長く紫煙を吐き出す。
四乃森は開け放った障子に若干体を預けるようにして立った。お互い向かい合うことは無い。ただ、漠然と庭を見る。

「…こっちで一事件あってな。その処理に借り出されたというわけだ。東京に比べ、西日本はまだまだ守りが甘くてな。時折、とんでもないことをやらかす奴らがいるのさ。」

空はどこまでも青い。やわらかい晩秋の日差しには似合わない話題だな、と四乃森は思った。かといって、この男とほかの接点はない。会えば必ず血なまぐさい話になる。

「…ま、そいつらもあらかた捕らえてしまったのでな。俺もこれで晴れて東京に戻れるというわけさ。」
「そんなことのために、お前が京都まで来たのか。斎藤一。」

肩越しに蒼紫を見て斎藤はにやり、と笑った。

「もちろん、それだけなら俺がわざわざ来ることもない。素性のしれない一団だったのでな、用心には用心を、というわけだ。」

いずれにせよ詰まらん仕事だったがな、そういいながら、懐から2冊の冊子をとりだし、四乃森に渡す。本、というより古書のようなものの形態に近い。渡されるがままに手に取ってみる。

「これは…。」
「昨日、押し入ったアジトに残っていた。首領も構成員もあらかた捕らえた。捕らえた者から、もちろん尋問なり拷問なりして、この書物の内容と素性を聞くことはできるがな。案外近くに専門家がいた、というわけだ。」

書物の表紙には何も書かれていない。が、それは隠密御庭番衆が数百年の歳月をかけて培ってきた、薬学の一部が書かれているのは明らかだった。四乃森も、御頭を襲名するときに、同じようなものを読んでいる。自分が読んだそれに比べれば、かなり少ない情報量であるし、内容も幼稚なもののようだが、それでも、隠密の秘儀が一部でも一般世界に洩れるのは十分に危険だ。これらは、人を生かすための知識ではない。人を滅する為の知識だ。

「もちろん、世は明治だからな。誰が何を読もうと勝手だ。それを使って悪さをしてやがった奴等も捕らえた。なぜそのような‘知識‘が、一介の学生やらゴロツキやらの一団の手元に到ったかなども、まあ、興味が無いわけではないがな。俺は、忙しい。」

そう言って立ち上がる。

「警察は捕縛者の尋問はする。が、それ以上の捜査はしない。よっぽどこのヤマの裏に大物が控えているのなら別だが、今のところそれらしい影はない。それはお前に預ける。好きにしろ。」

斎藤は振り返りもせず、歩き始める。

「待て。」
「なんだ。」
「好きにしろとは、どういう意味だ。」

斎藤一は、そこで、初めて四乃森に向き合った。この男の目が独特の色と輝きを放つ。冷たいその色の奥には深遠な闇が広がっているように見える。 四乃森は知っている。これは修羅に身を置くものの目だ。そして、修羅に飲まれぬ者の目だ。剣椀もさることながら、この男の底知れぬ強さは、時に闇に生きる己すらひるませる。

「その書物、学者なり暇人なりが、調べて書いたものだと思うか?」
「…。」
「では、そういうことだ。お前ら、御庭番衆にかかわる誰かが、漏らしたものなのだろう。」

短くなった煙草を足でもみ消し、人の悪そうな笑みを浮かべて蒼紫を見据える。

「身内の粛清にまで俺をわずらわすなよ、御頭。」
「…仔細心得た。心遣い感謝する。」

そんなつもりはないんだが、といって、斎藤一は姿を消した。

その背中が消えた先をぼんやり眺めながら、四乃森は考えていた。
内容から、身内の誰かが漏らしたことは間違いない。ただ、葵屋にいる仲間がそれをしたとも思えない。そうしなければならない理由がない。彼らは御庭番という過去ではなく、すでに明治という現実を生きている。 しかし、大政奉還以後、御庭番の組織は連絡の取れぬまま解散してしまった。京都のように、御庭番が組織として存在していることのほうが例外なのだ。混乱の中、なし崩しに消えてしまった元同士もいないではない。思い当たる節が、無いではなかった。

おそらく斎藤も同じ事を思ったに違いない。戦に負けた側の組織の人間が、いかに簡単に誇りや主義を売り渡していくか、あの男は身を持って知っている。 好きにしろ、というのは、自分の手で終わらせろということなのだろう。

己は意外にも、あの男に信用されているらしい。そう思うと、何故かおかしかった。口もとがほころぶ。
笑ったのは、何年ぶりのことだろうか。自分を笑わそうと必死になっている操がここにいたら、さぞ驚くだろう、と思う。そして、今、己が笑った理由を知ったときの、あの真っ直ぐな娘の反応を想像すると、なお、おかしい。

しかし今なすべきは、他にある。
四乃森は、渡された書物を携え、翁を探すべく奥へむかった。





程なくして、警視局の斎藤の下に、京都から一通の小包みが届いた。中には、2冊の書籍と、達筆な毛筆で書かれた短い手紙が入っていた。

「以後貴殿を煩わすことはない。」

最後の御頭は、見込みどおり非情になれる男らしい。
斎藤はその手紙を眺め、2冊の本を廃棄資料の中に投げ込んだ。







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