星雲




出先で偶々目に留まった金平糖を、気だるい午後の茶に添えると、夫は珍しいものでも見るように妻に目を呉れた。

「綺麗でしょう。私、なんだか嬉しくなってしまって。」

夫は甘味を好まぬということを、妻は重々承知している。
食べて欲しくて買い求めたのではない。妻も、特に金平糖が好きだということでもない。
ただ、無性に懐かしいような切ないような、そんな気がして手に取った。そして気付けは、店主に明るく挨拶をされ、暖簾を潜り外へ出たという次第。
朱、黄色、若草に橙。紅葉をあしらった半紙の上は、さながら色の洪水だ。
いがいがと、小さな突起が球状のそれにびっしりとついている。それすらも、少し可愛らしく思えてくるのは、優しい色の所為だろうか。

「金平糖なんて、随分見ていなかったような気がします。」

夫は妻の独言を、聞くでもなく聞き流すでもなく、煙草に手を伸ばす。
帰宅したのは深夜だったから、非番の今日は随分と長寝をした。起きた時には妻は無く、ぼんやり煙草をふかしていたら、妻が戻ってきた。手土産に、この小さな色とりどりの星々をつれて。

「幼い頃、母が良く買い求めていましたけど。私も弟も、さほど好きではありませんでしたから。」

紅色のそれを、そっと口に含むその様が、ゆっくりと視界を流れる。ちゅ、と音を立てて離れた、桜貝を思わせる爪を艶やかにぬらした指が ゆっくりとまた、次の星を戸惑うように模索した。 じ、と見つめていればこちらに気がついたのか、どうぞと、縁側に座った二人のちょうど中間にあった皿を押してよこす。 戯れに、若草色をつまんで口に放れば、甘いような苦いような 、微妙な風味が口腔を満たした。

「なんとも言えぬ、味ですね。」

肯定もしないが、否定もしない。しかしそう言って笑う妻の瞳に、過去を懐かしむ色を見て取る。
父がいて、母がいて、弟がいて。その日の菓子の味に、くだらない議論をするありふれた、退屈な日々。
この女は、過去を愛でている。本人が肯定している、大して好きでもない子供じみたその小さな甘味が、どういうわけかやけに価値のあるものに見えてくる。そして、 彼女の見るその色あせた風景に、己は存在しないのだ。

「十分甘いと思うがな。」
「そうですか?」
「胸焼けしそうだ。」
「では、召し上がらなくても結構です。私が頂きますから。」

拗ねたようにそういって、皿ごとさらおうとした妻を制す。
何ですの、と瞳にたくさんの疑問符を浮かべて軽く頭を傾けこちらを伺うその瞳は、たとえ米寿を迎えても少女のような煌めきを放つに違いないと思う 己は、大概病気だと心中で苦笑する。

「お前だって好きで食ってるわけではないんだろ?」
「誰がそのようなことを?」
「言った。」
「まさか。」

強気な口調で後れ毛を書き上げ、宥める様な流し目をよこす。

…ああ、妻殿。その視線は、問題だぞ。
ますます怒らせてしまうことをしでかしそうな予感がした。

「いいことを教えて差し上げよう。」
「…貴方のおっしゃるいいことが、よかったためしがないのですけど。」
「おやおや、妻殿は切ないことをおっしゃる。」
「悲しいことに、経験ですのよ。ご存知でしょう。」

明らかに不審をみなぎらせたその瞳が罪なのだ。
二人の間に静かに鎮座する、色彩豊かな星雲から、星のひとつをかすめ取り、口に含んだ。取り立てて、特別な味ではない。しかし、これは 特別というものに成り得る。

やにわに腕を伸ばし、皿越しに妻の腕を引き寄せた。
思った以上に、乱暴な行為であったらしい。妻の気配が驚きよりも非難を告げる。
かたん、と軽い音かして、勢いに巻き込まれた皿が金平糖を撒き散らした。これが星ならば、ひとところに纏まらず、自由に漆黒の空を照らすべきなのだ。
受け止めた暖かい体温を感じつつ、斎藤はそう思った。

言葉にはしがたい音が、重ねた唇から漏れる。
深く深く口付けたまま、熱い星のかけらを愛しい唇の奥へと落とす。

しかし、それ以上は求めない。
待つということも、この女に出会って知ったことだ。
正直、得意な行為ではないが、得たものは大きかった。

「で、どうだ?妻殿のご感想は?」

瞳を白黒とさせる、妻に問う。確信を持って。

「旨いだろうが。」

時尾はぷい、と顔をそむけた。
それゆえにあらわになった首筋は、指先の桜貝以上に紅色に染まっている。実に好い眺めだと、そう思った。
伏し目がちな妻の、ゆらゆらと揺れる瞳にあるのは過去の日を彷徨うそれではない。己の知る、少女の煌きを抱えた生身の女だ。


「・・・甘くて、美味し。」
「当然だ。」

陽だまりのたゆとう初秋の縁側で、満足げな意地悪な瞳が、優しく笑った。

己の居ない過去を、否定はしない。

でも、新しい歴史で塗り替えてみたいとは思う。過去の日を懐かしみながら、でも今のこの日に酔っていると。そう言わせてみたいのだ。この妻に。
だからこそ、妻には思う限りの不貞を働いていたい。そしてその程度の我儘は、許されるべきだと思うのだ。








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