気持ち




年末の騒々しさと慌ただしさで走らずにおれないのは、師だけではないらしい。

酒に酔って暴れる阿呆から押し込みの強盗まで、悪党も師走は勤勉に働くようで、結果斎藤は通常なら引き受けなくても良いような仕事をこなしている。加えて、年末年始は祝賀式典等やら外国領事の何が目的かわからぬ宴やらで、要人警護も行わねばならない。
よって斎藤は、大晦日にもかかわらず忙しい。今日も帰宅は深夜になりそうな雲行きだ。

…にもかかわらず。

「おっさーん。」

不出来な部下は、今日も奇抜な髪と格好で、あっけらかんと斎藤の執務室に顔を出した。
斎藤は答えない。完全無視を決め込んで、目の前の書類を片付ける。いくら仕事とはいえ、家を空けることが多すぎる。せめて正月くらいは家で迎えたいものだ。己だけのためでなく、待つ者のためにも。

「なー、おっさんて。こっち向いてえや。」

ホンマ、かなんおっさんやで、と呆れたように言って、張は斎藤の顔を覗き込む。

「気が散る。邪魔するなら帰れ。」

そんなあ、と張は情けない声を出した。男に甘えられても嬉しくない。うっとおしいだけだと苛立ちが募る。

「そんなに書類の整理がしたいなら、させてやっても良いぞ。」
「あほらし。そんなんしたないわ。」
「…じゃ、何しに来た。」
「おっさんに大事な用事あんねん、わい。」

そこで、斎藤は目を上げて部下を見た。

年末年始の仕事は、内容から言って、この部下にはそぐわない。似合わない仕事を無理やりさせて余計な騒動を起こされるのは、本人にとっても周りにとっても迷惑という不幸でしかない。だから、当分の間、此処には来なくて良いと言いつけていたのだが。

「俺には貴様に用など無いぞ。」
「…自分ホンマ性格悪いで…。」

張はそう言って、はいな、と斎藤に小箱を渡した。
斎藤の手の中にある、小箱。桐でできた、細長い箱だ。綺麗な藤色の紐で結わえてある。

…なんだ、これは。
そう、無言で怪訝そうに見上げる上司に、張は言った。

「おっさん、ちょっと立って。」
「あ?何故。」
「まー、ええからええから。」

悪いようにはせえへんから、という調子の良い言葉と、早く阿呆から開放されたいという思いで、斎藤は言われるまま執務机の椅子から立ち上がった。

そして、子供を呼ぶようにおいでおいでをする張に近づいた、その時、
張のふざけたお調子者の仮面が、剥げた。



ぎゅ



あっけにとられる速さで間合いをつめられて、斎藤は張に抱きしめられた。
否、抱きつかれた。

…しばし、放心。時間が凍りつく。

次の瞬間、臓腑に響き渡るような低い音と、ぅぐえ、という蛙が踏まれたような音がした。

「な、な、なにすんねん、酷いわ、おっさん!」
「それはこっちの台詞だ、このど阿呆がっ!!」

斎藤に鳩尾をしたたか殴られ、床にしりもちをついた張が、泣きそうな顔をして、斎藤を見上げている。が、斎藤の怒りは治まらない。年末借り出されているというだけでも腹立たしいのに、何故男に抱きつかれにゃならんのだ。傍に置いた愛刀を引き寄せる。

「…新年が迎えられず残念だったな。」
「ちょっ!ちょっと待ってって!!」
「しかし、ある意味年を越さずに良かったというべきか。」
「洒落にならんから、おっさんのは!」
「心外だな。俺はいつだって本気だ。」
「ほんま、聞いてってー!!」

コレには、深―い深いわけがあんねん。
そう涙目で訴える箒頭に、今年最後の温情をかけてやる。

「なんだ、言ってみろ。」
「誕生日やろ。」
「…あ?」
「明日、てか、もうすぐ。おっさん、誕生日やろ?」

斎藤はしばし考えた。確かに、明日1月1日は己の誕生日だ。しかし、誕生日と抱きつかれることの因果関係がわからない。元々張は突拍子もないことを考えたりやらかしたりする帰来はあるが、それでも意図がわからない。

「…それと、俺の誕生日とどんな関係がある。」

解からぬままに問うと、箒は器用に片目だけつぶって、言った。

「わいな、おっさんが誕生日にもらってなにが喜ぶか考えたんや。結構長いこと考えたんやで。でもな、コレっていうのが無い。」

張は立ち上がって、ぽんぽんと、服の埃を払って、おおげさに腕組みをした。

「いやーホンマ悩んだわ。おっさん、趣味とかない人やん。ずーっとここに居るし。刀好きなんは、知ってるで。でも、刀は銘やない。とくにおっさんみたいな人にとっては、手に馴染むモンが名品や。そうなると、刀はもらうモンと違う。おっさんにとっては探すモンや。」

違うか?そう言って、張は片手を自らの顎に沿わせた。

「…確かに。」
「わいも、刀は好きやからな。その気持ちは解かるで。でや、他におっさんの好きなもんいうたら、酒か煙草や。でも、消えモンはちょっとな。性格極悪やし、人使い最悪やけど、一応上席のお人やからなあ。」

それは、その一応上席のお人とやらに直接言っていい言葉だろうか。そう考えながらも、斎藤は黙って聞いている。

「でやな、いろいろ考えた上に、ぱちっとひらめいたんや。」
「何だ。」
「おっさんの欲しいモンはなぁ、」
「…さっさと言え。」
「おっさんの喜ぶモンはなぁ、」

張が気味悪く、うふふふと笑う。そして、胸を張って言った。

「時尾はんが喜ぶモンやわ。」
「…あぁ?」
「おっさんは物に執着することなさそうやし、おっさんが喜ぶ物を贈るのは無理やなと思ってん。でも、おっさんも、時尾はんの喜ぶ顔は…好きやろ?だから時尾はんが喜ぶモンを貰うんが、おっさんは一番嬉しいんちゃうか、って。」

そう言いながら、どや、わい天才やろ、と張は斎藤の顔を見上げた。
…この部下の思考回路は一体どうなっているのか。斎藤は大きなため息をついた。刀を抜く気も失せる。

「だから、や。ちゃーんと、その小箱、時尾はんに渡しや。それから、」

アレ、忘れたらあかんで。
そう言いながら悩ましげに自分の肩を自分でぎゅっと抱いて、張はにやり、と笑った。



まだ何か言い足りなそうな部下を叩き出して斎藤は煙草に火をつけた。未決の書類はまだまだ山のようにある。しかし、張の呆れた行動で、もう今更仕事に戻る機は無かった。

それに今なら今年中に家に帰り着くことができそうだ。
斎藤は、机の上に置かれた小箱を携えて、帰途についた。






「まあ、お帰りなさいませ。」

やはり、というべきか、時尾は起きていた。もう半刻もすれば新年だ。新しい年が目の前に迫っている。

「年越しですし、御蕎麦でも召し上がりますか。」

そう言っていそいそと立ち働く時尾を目で追って、着替えを済ませる。
煙草をつけて居間に座り、天井をぼんやり眺めながら今年も色々あったなどと思いを馳せた。それも、過ぎてしまえば幻のようだ。
ふう、と吐き出した煙がゆっくりと空気に溶けていくのをなんとなく目で追う。
見慣れた天井。見慣れた庭。床の間の見慣れない花。それは新年に向けて時尾が活けたに違いない。
変わらぬ風景の確認と、小さな発見。戻ってくるたびに、やはり、我が家というのはいいものだと思う。なにが特別ということもないのだが、強いて言うなら平穏で平凡だ。そしてそれは、貴重だ。

「…少し召し上がります?」

蕎麦を食べて一息ついた頃、時尾が銚子と杯を持ってきた。

「…どうも。」
「今日お戻りになるなら、そう言ってくだされば、他にも用意しましたのに。」

そう言いながらも、時尾は終始嬉しそうな笑みを浮かべている。新年を共に迎えられることを心のどこかで期待していたのだろう。自分もそうだと、それが嬉しいと、素直に顔に出せない己が恨めしい。
微笑む時尾に、斎藤は張から言付かった桐の小箱を黙って渡した。時尾は、一瞬きょとん、としたが、それが自分へのものだと解かって、頬を赤らめる。あらあら、と言いながら、愛おしそうに箱を撫で、藤色の紐を解いた。

「…まあ。」

そこには、上品な簪が入っていた。派手ではないが精巧な造りで、時尾の顔立ちに映えるだろう。斎藤はそれを見ながら、あの男は、意外に粋のわかる阿呆のようだ、などと考えた。

「旦那様…嬉しゅうございます。私の為に、このような…」

瞳を煌めかせて素直に喜ぶ時尾に、少し罪悪感を覚えて言った。

「…祝いだそうだ。」
「は?」
「俺の、」
「…?」
「誕生日だから、と。」

訳がわからぬ、という顔をして己を見つめる時尾に、斎藤は事の顛末を説明する。時尾は始めこそ黙って聞いていたが、途中から堪らずころころと笑い出した。

「まあ、左様でしたか。旦那様は、優しいお仲間をお持ちですのね。」

酌をしながら、そう言って時尾は幸せそうに笑った。
仲間、とあの箒を呼ぶのは些か違和感があるものの、まあ時尾にとってはそういう存在なのだろう。優しい、というのも解からない。体よくからかわれたような気もする。が、自分の誕生日の為に、無い頭を使って考えたのだろうと思うと、あの箒も可愛いところがある…といえないこともない…のかも知れない。
ふと、その箒のしたり顔とともに、斎藤はあることを思い出した。そうだ、忘れていた。渡さなくてはならないのは、箱だけではなかった。

「時尾。」
「なんです。」

斎藤は黙って、子供を呼ぶようにおいでおいでをする。その、らしくない仕草に、時尾は笑いをかみ殺しながら、呼ばれるままに座った斎藤の横に添う。
斎藤の、杯を持たぬ方の腕が伸びた。



…ぎゅ



その腕は、いささか乱暴に、しかし、じんわりと優しく時尾の肩を抱き寄せた。
そして、かしぐように胸に寄り添った時尾の髪にそっと唇を当てる。

「これも、…言付け、だ。」

お前の喜ぶ顔が、俺にとっては祝いだと。
そう阿呆が言ったのだ、と言い訳のような口調でこちらを見もしないで呟く夫に、時尾は 今年も良い一年だった思いながら、除夜の鐘の音を聞いた。
終わり良ければ、全て良し。来年も、幸せに過ごしていけますように、と祈りながら。




後日、久方ぶりに斎藤からの呼び出しを受け、執務室に参上した張は、小さなぽち袋を受け取ることになる。

「なんや、おっさんワイにお年玉でもくれるんかいな。」

大の男を捕まえて、お年玉もあるものか。
おめでたく喜ぶ張を無視して、斎藤は黙々と仕事を進める。
開けてええかな、ええやろ、としつこく聞いてくる張に、ああ好きにしろと顔も見ずに答える。時尾から、張への言付けで預かってきたのだ。
コレは何だ、と問うと、できた妻は柔らかく笑って、秘密、と答えた。
よって、斎藤も中身を知らない。だから、少しばかり気にはなる。

「とっとと開けてみろ。俺も何かは知らん。」

その言葉で、張はそのぽち袋が、時尾からのものだと察したらしい。

「なんやろ、別嬪さんから物貰うなんて嬉しいわ。」

なんやろか、なんやろね。
そう言いながら開けた袋の中には、小さく折りたたまれた文が入っていた。目の端で斎藤もそれを眺める。詳細はわからないが筆跡は間違いなく妻のもの。書のお手本のような字が、優しく和紙の上に佇んでいた。
張は目を輝かせてその字を追っている。

「…で、何だった。」

ぶっきらぼうに斎藤が問う。どうでもいいような口ぶりだが、この男なりに気になっているらしい。張はそれだけでも、笑ってしまいそうだ。が、正直に笑えば鉄拳が下ることも経験から知っているのでそうもできない。むふふ、と含み笑う張を、斎藤は気持ち悪げに眺めた。

張は斎藤に、時尾宛に或る事の言伝を頼まなければならない。そうしてほしいと手紙に書いてある。が、急ぐこともない。滅多にないことだ。この狼と、もう少し遊ばせてもらうことにしようか。そんな事を考えながら、張は文をぽち袋に戻して、片目を瞑ってみせた。

「…わいと時尾はんの秘密、や。」

うらやましいやろ。
そう言って、にたりと笑う張に、斎藤は憮然と煙草を灰皿に押し付けた。




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