そして

土方が句を練る事は、新撰組の幹部、特にこの男が日野でバラガキと呼ばれていた頃からの付き合いが有る者達にとってはよく知られている。そして、その練る句というものが、お世辞で言っても巧いものでないということも、周知の事実である。よって、句を練る土方を見て未だに大げさに驚いて見せるのは、古参の中では沖田総司ぐらいのものだ。

「おやおや師匠、懲りませんねえ。」
「うるせえぞ、総司。」

今日も、部屋の障子を少し空け、室内で句を練っている土方に、沖田はそう声を掛けた。
沖田は非番らしく、着流しに懐手で、ぶらぶらと庭を横切り、のんびりと縁側に腰をかけた。

「そろそろ、諦めたらどうですかねえ。」
「…何が。」
「いや、その無駄な努力をね…。」
「お前に、雅がわかってたまるか。」
「じゃ、誰なら解かるって言うんですか。あんたの句。」
「…暇なら、甘味屋にでも行っちまえ。」

そう言われた沖田は、そうですねえ、などと言いながら動くわけでもなく、ぼんやりと空を眺めている。
そこへ、廊下の奥からすう、と影がやってきた。隊服を着た斎藤一である。いつものように、足音も気配もさせず、すべるように土方の部屋の前に進んで座り、軽く頭を下げて言った。

「副長、朝の巡察より戻りました。」
「変わりないか。」
「今のところ、特には。」

斎藤は、必要以上の事は話さない。よって、よほどの捕り物がなければ報告はいつもこうだ。そうか、といつもどおり答えて、土方はふと発句帳から目を上げて斎藤を見た。

「斎藤。」
「は。」
「お前、句はやるか。」
「…。」

沖田はその二人を見るでもなく聞いている。見えてはいないが、斎藤の顔…といってもほとんどいつもの仏頂面とかわらないのであるが…、を想像して笑いをかみ殺していた。
やああって、斎藤が答えた。

「…和歌でしたら、多少手ほどきを受けましたが…。」

斎藤は腐っても御家人の出身だ。その立ち振る舞いも言動も、武人のお手本のようなもので、その点が近藤にも大いに気に入られている。おそらく、句も読みはしなくても、判ずることはできるに違いない。もしかしたら、土方よりよっぽどましな句を練るかもしれない。 だが句を練るかと聞かれて、練ると答えればどうなろう。土方に詠んだ句を判じろといわれても、出来が出来だけに困る。まして、一緒に練ろうといわれても迷惑だ。
よって、矛先を和歌に転じたに違いない。
その剣筋から、斎藤を武芸ひとつの無骨物と見る隊士も多いが、沖田は斎藤が立ち回りに聡い男だということを知っている。内心感心しながら、斎藤に目を向けた。

「じゃ、そこに座っている馬鹿よりは、ちっとは俺の句が解かるってもんだ。」
「馬鹿はないでしょう、土方さん。」
「季語どころか枕詞も知らねえ無粋者のくせに。」
「ひどいなあ。」

土方はそんな沖田の言葉に少し笑って立ち上がり、縁側へ出た。斎藤が道をあけるように、座ったまま後ろへ下がる。それを、いい、と手で制した土方は、どっかりと縁側へ腰を下ろした。にや、と笑って沖田を見る。

「ぬばたまの」
「あ、なんだっけなあ、それ。聞いたことあるんだけど…。」

そう言って片手で頭を掻いた沖田を、土方は勝ち誇ったように見た。
どうやら、この二人は過去にも枕詞の話をしたことがあるらしい。剣には沖田に到底及ばぬ土方が、弟のような沖田をからかう時の、一種の遊びのようなものなのだろう。うんうん唸って考える沖田を見る土方の目は、鬼副長と呼ばれるそれとはまったく違うものになる。

「…闇。」

縁側の陽だまりに座った土方と沖田より、若干奥まったところに座っている斎藤がつぶやくように言った。
おや、という顔をして、土方が続ける。

「紅の」
「飽く。」
「たまかずら」
「…絶ゆ。」
「東雲の」
「しのぶ、でしたか?」

淡々と答える斎藤を、土方は呆れるように見た。沖田は端からまともに答える気はなかったらしい。口にくわえた草を噛みながら背を柱に預け、おもしろそうに二人を見ている。

「斎藤、おめえ…。」

少し間が空く。

「…暗えよ。」

その言葉を聞いた途端、沖田がはじけるように笑い出した。

「ひ、土方さん、そりゃないよ。あんまりだあ。」
「何が。」
「だって、そんな本当の事、本人の前で言っちゃあ、あんた…。」
「…沖田さん、それはどういう意味だ。」

斎藤は至って真面目な顔をして沖田に言った。斎藤にしてみれば、自分が和歌と言い出したせいで、沖田が土方に問い詰められているようで、それを見かねて出した助け舟のつもりだった。それを暗いと言われ、挙句の果てに助けようとした人間に、本当の事だなどといわれては、立つ瀬がない。
土方が、部屋から煙草盆を出し、一服点けた。洒落た煙管から、ゆっくり煙が立ち上る。
なお腹を抱えて笑う沖田が、目に涙を浮かべつつ問うた。

「で、あんた、なんで斎藤を暗いなんて思ったんです?」

そんな解かりきったことを。
そう付け加えた沖田を斎藤は、冷たい視線で眺めた。もちろん沖田はそんな目線など気にも留めるようでない。時々この男のふてぶてしさは心底腹立たしい。
土方が言った。

「いや、だってこいつ、よりにもよって暗い詞ばっかり並べやがるから。」
「暗い詞?なんです、そりゃ。」
「…だからてめえは無粋モンっていうんだよ。」

カン、と小気味良い音を立てて、土方が煙管を打った。
目線を上げた先を歩いていた山南を、ちょうどいい、と呼び止める。

「山南さん、あんた和歌は得意かい。」
「巧いかどうかは別だけど、まあ少しはやるよ。」
「じゃ、ぬばたまの、といえば…」
「そりゃ、夢、だろう。」

月、でもいいねえ。そう言って山南は笑った。

「東雲」
「したふ」
「紅の」
「色、だね。どうしたんだい、土方君。次は和歌でもやるのかい。」

土方はいやまあ、などと言葉を濁した。

「そりゃいいね。歌会をやるなら私も呼んでくれ。」

山南は近藤に急ぎの用事があるから、と言って、足早に去っていった。
その背を眺めながら、沖田は成程、と呟いた。枕詞の数ある組み合わせの中で、斎藤が答えた詞。闇、絶ゆ、飽く、しのぶ。消え行くはかないものばかりだった。他に、もっと美しい詞があるというのに。

「前々から思ってたけど…暗いねえ。斎藤。」
「もののあはれ。はかなし。そういったものが雅なのではないのですか。」
「おめえのは、はかないばっかで愛嬌がねえよ。寒々しい。」

愛嬌、という、斎藤には全く縁の無いような言葉に、またしても吹いてしまいそうになった沖田は、斎藤の凶悪な視線で今度はそれを飲み込んだ。

「おめえは、島原の天神にも、それなりに人気があるようだぜ。そう色気も愛想も無いようじゃ、いい女にもめぐり逢えずだ。」
「べつに構いませんよ。」
「あいつ等は、学も有るし、雅も粋も知ってる。難儀だぜ。」
「…では、副長なら、何と答えます。」

じ、と琥珀色の目が、土方を見る。沖田、土方に場を譲るように、少し奥まった影に座った斎藤のそれは、日の光の下で見るより、闇の中のほうが輝いて見えた。
この目と、その静かな物腰と、裏腹の剣の強さに胸を熱くしている女が島原には何人もいることを土方は馴染みの女から聞いている。ただ斎藤は、そんな女たちにとっては、打って響かぬところもあるようだ。
そういう初心というか不器用なところは、いくら達観したところがあるとはいえ、まだ二十歳過ぎの若者だということらしい。思えば、沖田よりも若輩なのだ、この仏頂面は。

ちょっと、教えてやるかな。
そう思って土方は斉藤に向き合った。

「試してみろ。」
「では…しろたへの。」

そう問われた土方はにやりと笑い、答えず静かに、す、と手を伸ばして、軽く斎藤の着物の袖に触れた。
一瞬、湖面のように静かな琥珀が、ゆるりと揺れた。

「…衣。」

土方は言葉をかみ締めるようにゆっくりと答える。視線は外してやらない。
見つめた琥珀がゆらゆら揺れている。

「うばたまの。」
「…黒髪。」

ゆっくり手をあげて、そっと、その痩せた顔にかかる黒髪に触れる。
途端に斎藤の体が小さく身じろいだ。

「ぬばたまの…。」
「今宵。」
「…。」

触れた手をそのままに答える。
斎藤が眉間に皴を寄せ、居心地悪げに目を伏せた。

ここまで、かな。
土方は、さっと腕を下ろして、あっけらかんと斎藤に言った。

「…と、まあ、こんな具合だ。女に聞かれたら、こういった答えをくれてやるんだな。」

斎藤は考えるように目線を板目に落としている。琥珀が瞳から溢れそうだ。
そんな斎藤を沖田は興味深そうに眺めている。
どこかで鳶が鳴く声がした。それが契機になった。

「…わたしは稽古がありますのでこれで。」

少しの沈黙の後、斎藤は土方に深々と礼をして立ち上がった。
それから、思い出したように振り返り、勉強になりましたと小さく付け加え、やって来た時と同じように音も立てずに廊下を歩いていった。
そしてその角を曲がったとき、斎藤の背中の方で、どっ、と笑いが起こった。


後日沖田は、

「斎藤のあんな困り顔を拝めるなら、俺は和歌だって祝詞だって詠んで見せるよ。」

と同胞に言い放って、斎藤の顰蹙を買った。
斎藤はそれ以来、句と和歌の話には触れない。それらが話題に上るたびに心底嫌そうな顔をして、座から離れていく。山南は、それを残念なことだとぼやいた。






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